この5月の下旬と6月の中旬に機会があって2ヶ所の別荘で時を過ごしました。
前者は岐阜県郡上郡の蛭ヶ野(ヒルガノ)高原にあってすぐ側に最近できた東海北陸道の「ひるがの高原サービスエリア(SA)」があり、標高820m、日本で一番高いところにあるSAとうたっていました。さすがに夜ともなると別荘では電気こたつをして鍋物をつつき、美酒に酔いました。
後者は茨城県の鉾田(ホコタ)町の滝波にあってすぐ下は鹿島灘、延々と続く砂浜には大波が常に押し寄せ、ウイークデイの昼間だというのに、若いサーファー達で賑わっていました。昼夜となく風の強い所でした。鉾田はメロンの産地、生産者から直接1個200円で買い求め、舌つづみを打ちました。
さて、偶々行ったこの別荘2地帯の共通の現象に気付きました。一つは10件に1件くらいの割合で常駐しているお年寄りがいることでした。車無しではどこへも行けないような所なので息子が週に1回くらい来て、買物に親を連れて出て、次週の食料などを仕込むようです。もう一つは空き地が多いことでした。あのバブルの頃、かねがね田舎暮らしを夢見た中高年男性が業者の勧誘で慌てて購入したが後に続く者がいなかったのでしょう。(そういえば私の言った2軒とも主人が現地見学に行って衝動的に自分一人で仮契約し、後、奥さんを連れて行き決めたものでした。)
空き地はざっと見て7〜9割でした。それに建っていても朽ちていた建物が結構ありました。あの「千と千尋の・・・」の映画もさびれたテーマパークの成れの果てが舞台でしたが、こんな朽ちた別荘集団の映画を作るのも時代を反映して面白いかも知れません。
それはさておき、別荘でのお年寄りの暮らしは現代版高級(或いは贅沢な)“姥捨て(うばすて)”かな、と思ってしまいました。
一方、朽ちた建物の多いのは、老後の別荘又は田舎暮らしを夢見た“企業のつわものどもの夢の跡”かな、と思いました。
琵琶湖の周辺でもこの手の別荘地、又は朽ちた別荘を沢山見ました。こういうのは全国到る所に見受けられるのでしょう。
バブルの頃、別荘地を造成し、売りまくったが大概が売れなかった業者、それに金を貸し続けて不良債権化した挙げ句、国税で助けられた銀行。個人もまたそんな思惑に踊らされてなけ無しの財産をはたいて別荘地を買い、僅かな回数使って腐らせた家。そんなかっての世相が浮かび上がって来ました。
日本人にはまだゆとりをもって別荘を持てる階級は少ないのでしょう。それに、時は流れて浮かれた気分がこんなに早くしぼむとは誰が予想したことでしょう。別荘地の朽ちた家々を見てつくづく思ったことでした。 |
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