13日の日曜、高校卒業後50周年の同窓会を市内のホテルで行ないました。卒業生360余名の内、120名余が集まりました。半世紀というのはやはり長い年月です。参加できなかった人の中には、物故者が50名くらいはいらっしゃるようです。ようです、というのはなかなか把握できないのです。また、50名は体の具合が悪いためのようです。残りの方は遠方であるとか時間や費用がかかるとか、中には同窓会に興味、関心のない方もいらっしゃることでしょう。
返事のはがきには「車椅子生活なので」とか「母の看病のために手が離せません」とか「夫は××に亡くなりました」と奥さんの返事があったりとか、この年になると様々です。
かと思うと、南は台湾からわざわざ駆けつけてくれた友もいました。かくしゃくたるものです。北は仙台から駆けつけてくれました。
男の変わりかたから比べると、女の人は特に変わり方が強いようです。男は皆、勤務なり、自営なりで社会(他人)との関わりを持ち続けてきた者と見ていいのですが、女の人は仕事を持って今まで生きてきた人(事業所勤務や自営など)と専業主婦で生きてきた人は、やはり前者に張りと、物事の判断の迅速かつ的確性があるように見受けました。
人の事をあげつらうつもりはありません。身近に私の姉3人ともに専業主婦でしたので、人はよくて気は優しいのですが、社会の常識的なことが分かっていないなと思うことがよくありました。しかし、専業主婦がいけないと言っているのではありません。最近普及してきた、ボランティア的な活動をしている女性に張りがある姿をよく見受けます。子育てから手が離れたら、ぜひ女性方はなんらか世に出て活動されることをお勧めしたいと思いました。
ハイティーンであったあの高校生の頃から50年、相手に昔の面影を発見したときは例えようのない感動や喜びがあります。しかし、名乗られてもどうしても昔の面影を発見できない人もありました。50年の年月はこんなにもものを変質するものかと、悲哀や嘆きもありました。
私はこの会の代表者であったので、閉会時の挨拶をするのに50年昔のことを年鑑などで調べてみたのですが、50年前はこんなだったのだと改めて驚嘆しました。50年前(昭和30-1955-年)の出来事はゴマンとあるうち2、3点、ここで取り上げてみます。
その頃の高校生は黒の詰め襟、女子はセーラー服、それは大したことないのですが、男女とも下駄を履いて通学していたのです。1年先輩の女子が気取って靴を履いて学校へ来たのはいいのですが道すがらすっかり靴擦れがして、かかとに紙を当て、それに血がにじんでいたのがいまだに脳裏に鮮明に映っております。その頃は靴なんか全く履きなれていなかったのです。
今一つ科学の進歩の激しさの象徴として、ペンシルロケットを見てみます。
昭和30年、日本製のロケットが初めて飛びました。鉛筆の大きさで水平に飛びました。それが50年後、2年前に飛ばした宇宙探査のロケットが3億kmかなたの直径500mの極小惑星「イトカワ」に到着したというニュースが今月流れています。それは6000kmかなたの1cmの玉に当てる精度です。畏るべし。
毎日、少しづつしか変わらないから、気づかないのですが50年の年月は本当に大きいものです。 |
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