12月に入り“真冬並みの寒さ”と言われる日もあり、今年は暑さからいきなり寒さがやってきて、晩秋―初冬という微妙な季節の移ろいを味わう事が出来ず、残念でした。
古来日本人は自然とともに生き、季節を肌で感じそれがいろいろな芸術、芸能に取り込まれてきました。季節感が薄らぎ、日本人の感性が鈍磨してゆくような気がして寂しい限りです。例えば、明らかに木守り(きまもり―来年もよく実るようにと一個残された柿の実など)と分かる風景や臘八(ろうはち―釈尊成道の日の12月8日)に仏壇に粥を供える行事など、それらを通じて季節感を味わうということが少なくなったように思われます。お茶の世界ではこの季節感をつても大切にしています。お茶室の床(とこ)には季節の花は言うに及ばず、季節に合った掛け軸や色紙が用意され、季節の言葉を交わし合います。何もかたちや作法ばかりではないのです。
さて、日本中がW杯に沸いた今年も残り少なくなり、一年を振り返り、新たな年に思いを馳せる時がやってきました。年が明けると誕生日を迎える私にとっては新年の到来は(数え年のように)齢を重ねる時にもなるのですが、決して負け惜しみではなく“また、一つ年をとる!”とは思ってはいません。元気に素敵に年を重ねてゆく人生の先輩方を見聞きするにつけ私はまだまだ若造だなと思っています。
「生き方上手」の著者、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生のお姿には背中を押される思いがします。90歳を過ぎられてもまだ精力的にお仕事をされ、次の計画を立てて、私たちに人生の素晴らしさを身をもって示して下さっている生き方に深い感銘を覚えます。この先生の前では私はまだ5歳、(母親年齢=母になってからの年齢)なのです。著書には“老いとは衰弱することではなく、成熟すること。”“きりのない願望が幸せを遠ざける”“年齢は勝ち負けではなく、謙虚に、そして存分に味わえばよい”など珠玉の言葉が並びます。先生のおっしゃる通り、何事も捉え方、考え方次第。常に前を向いて希望を持って今日一日を精一杯厳しく生きてゆきたいものです。
今年の漢字は「帰」でした。“初心に帰る”“本来に立ち帰る”過去に囚われることなく(勿論、反省は忘れてはいけませんけれど)新しい年を希望のうちに迎えられますように。
ノーベル化学賞受賞者の田中耕一さんの一挙手一投足が報じられ、日本全体がその“癒し”を求めている昨今、来年はどうか良い年でありますように。
ちなみに来年の干支(えと)は“羊”。美しい、めでたい意を含みます。“大きな羊”で「美」、“羊を示し”て「祥」、よい兆しの意。皆様に幸多からんことをお祈りします。 |
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