この3月、スーパーの売り出しで茶色のひよこを3羽買った。家へ持ち帰る車の中で、ぴよぴよ鳴く声がいじらしく、すでに私の心はなごんだ。家ではダンボールに入れて台所で飼い始めた。毎日数回は手の平に乗せては頭を撫でてやった。
ひよこと遊んでいると、小学校の頃の記憶が呼び覚まされた。その頃は戦後まもなくで、町の中でも多くの家で鶏を飼っていた。米糠(こめぬか)に野菜やひよこ草を混ぜ、しじみや牡蠣(かき)のからを砕いてやっていた。きょうだいで分担して餌やりをしたが、基本的には卵が目的なので、鶏そのものを可愛いと思う心はそんなになかったのか、記憶にない、それよりも捕まえようとするとこつかれるので恐いという感じが残っている。
数年して、いつのまにか鶏を飼うことはなくなった。なぜ飼わなくなったのか。餌やりが面倒になったからか、卵が楽に買えるようになったからか、鶏への思い入れがなくなったからか。定かでない。
それから50年以上経つ。ひよこがこんなに可愛いものとは知らなかった。10日ほどの間に、庭で飼えるように鳥小屋を作った。その小屋で飼い始めて、さて戸を開けて外に出してやると、なんと私の歩く後をぴよぴよ鳴きながら、尻を振り振り懸命に付けてくるではないか。ドイツの生物学者ローレンツの“カルガモ”での研究「刷り込み」の理論通りだ。このひよこ達は私を親だと思っている!
その後、4か月経った7月の終わりに卵を産み始めた。生後4か月で一人前になったのだった。初卵は普通の半分くらいの大きさだったがとても愛しく感じた。以後、3羽のこのトリ達は毎日2個は卵を産む。そして私の歩く後を付けることは変わりがない。但し、後ろから追うと逃げる。毎日広い庭に放してやるが、何も囲いはないのに敷地内から一歩も外には出ない。3羽はいつも連れだって地面をこついている。私が近寄って、抱きかかえてやろうとすると腰を下げて平たくなる。なんと今は私を雄だと思っている!
このお盆に仙台と東京から孫が5人来た。さらに貰っていたひよこ2羽におお喜び。そしてもう大人になっている茶色の鶏を抱き抱えるが、全くこついたりせず、素直に抱えられている。どの孫も代わり代わりひよこだ、親鳥だ、といっては抱きかかえ、大騒ぎ。小浜へ来た最高の思い出になったようだ。
さて、7月に別に“烏骨鶏(うこっけい)”を3羽頂いた。真っ白で美しいこと限りがない。しかしこのトリは人間を避け、恐がることおびただしい。間違いなく、産まれてすぐ、人間に抱かれたり可愛がられたりしなかったのだ。鳥小屋に入れられて、餌だけ与えられて大きくなったのだ。我が家へ来てもう1か月以上になるのに、大きな囲いの中にいながら人が近づくと向こうのほうへ逃げる。抱きかかえる事なんかおよそできない。
猫や犬も野良で成長すると最早、人になじむことはない。烏骨鶏よ、お前もそうだったのか。
真っ白で貴婦人のように美しい烏骨鶏を見ながら、なんぼ美しくてもお前は私の心を癒してはくれないが、ありふれた、茶色のレグホーンのほうが勝って私は愛しく思うぞよ、とつぶやいたりしている。 |
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