猛暑の今夏でしたが、お盆を過ぎさすがに熱帯夜はなく、眠りやすくなりました。夏の疲れが出やすい頃ですから体調を崩されませんように。
この暑さの中、世界陸上での日本人選手の活躍、特にトラック競技での初のメダルの獲得は暑さを忘れさせ爽やかな気持ちにさせてくれました。
さて、私事ですが7月27日に義父・中山恭三が滋賀県大津の地で亡くなりました。享年77歳、まだ早い年齢でした。10年以上前に胃の手術を受け私共の産婦人科、小児科以外の殆どの科にお世話になりました。2年前には喉頭腫瘍で手術、その後転倒して硬膜下血腫、顎骨骨折、今冬頃より横になっていることが多くなりました。不平は言わず、一人で運命を受け入れているかのような態度でした。とても優しく、物静かでいつも微笑んでいる義父、ただお酒が入ると饒舌になり、ほがらかに周りを笑わせ楽しくしてくれました。
一方、何かとまめな面があり、私達が結婚した時にはすでに退職して寝たっきりの祖父(義父の父)がいて、その面倒をよく見ていました。オムツを替えたり、ゴミ出し、洗い物はもちろん、漬物作りも義父の担当でした。義母が海外旅行などで長期不在でも平気で、自分で食事を作り、一人で留守番をしていました。東レマン(東洋レーヨンの社員)で海外出張、単身赴任が長かったせいでしょうか。義父の年代には珍しく、自分の身の回りのことは自分できちんとできました。この点は夫にも見習って欲しいものです。
また、義父は“捨てる美学”を持っていました。これには義妹が折角仕上げた宿題をねじって捨ててしまったという逸話もありますが、我家に滞在中は遠慮してかこの美学が発揮されることはありませんでした。本当はうずうずしていたのかも知れませんが・・・
淡々として小事に拘わらず些細なことは笑いとばしてしまう懐の広さ。それでいてここという時はきちんと決断する潔さ、をよく感じました。
我慢強くもあって今回の闘病中も「痛い、辛い」とは一言も発せず、担当の先生方も驚嘆されました。こんなところは陸軍中野学校で鍛えられたことが関係しているのかもしれません。
決して器用とは言えないかも知れませんが運命に逆らわず、その時その時を悔いなく精一杯生きる義父の生き方には何故か“柳の木”を連想します。
今年5月、当院の五周年記念が最後の来浜で、夫から義父へのプレゼントでもありました。亡くなる直前、病室を最後に見舞った時、なぜか波長の合う息子(義父からは孫)の雄貴がバイバイし、それに応えて義父が手を振りながらバイバイと言った言葉が私達の聞いた最後の言葉となりました。
義父の語ってくれた話や何気なく示してくれた生き方は今、あざやかに心によみがえります。どうかおとう様、安らかにお休み下さい。
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