No,56 平成 12年 11月16日(木)

■機能性不妊症■  院長 中山 茂樹
 霜月になり昼夜の温度差が身に染みるようになりました。息子も3歳半になったから危ないことも分かるだろうということで我が家の小さいながらの囲炉裏(いろり)に炭火を入れております。暖かいねといいながら手をかざしたり、線香に火をつけ鉄瓶をチーンと叩いては、手を合わせています。祖父の1周忌に行ったときに覚えてきたものでしょう。『孟母の三遷(もうぼのさんせん)』の話にあったお寺の近くに引っ越した孟子がさかんにお寺の真似事をした故事を思い出したりしました。


 雑談はさておき、今回は不妊症について説明しましょう。結婚された多くの方は妊娠するのが当たり前というのが通常ですが、ここ20年間、10組に1組から8組に1組へと不妊症のご夫婦が増えています。原因は多種多様で、この説明をしますと論文になりますので、ここではメンタルな面についてのみ説明します。

 新婚カップルが結婚1年くらいでは、妊娠しなくてもまあそのうちと考えて平気、でも又1年経つとあれっという不安がよぎり受診されるようです。さて、診察をして原因があればいいのですが、中には原因なしで、回りから”まだかー々々々”のプレッシャーでできない場合やご主人が非協力的であったり、本人が欲しいという願望が強すぎて、生理のたびに落ち込んだりというストレスによる機能性不妊症という範疇(はんちゅう)のものもあります。(精子や卵子などに問題がある場合は器質的不妊症

 回りの人の”まだなの”という一言が不妊症の方の心を傷つけることがよくあります。諸外国などでは結婚しても子供はつくらないという考えが通用したりもしていますし、どの家庭においても諸事情があるでしょう。こと妊娠に関しては当人が考えたり悩んだりしておられることですから回りの者はとやかく関与しないで、当人から会話が出るのを待って頂きたいものと思います。一方ご主人も他人からまだなのなどと聞かれても”諸事情でまだつくらないの”という具合に居直って頂きたいと思います。妊娠は必ずするという信念をもって・・・
 

■新婚・仕事と家事■  事務 小西 由香
 今月18日で私は結婚1年を迎えます。昨年の今頃は新婚旅行を兼ねてのオーストラリアでの挙式・披露宴の準備などでバタバタしながらも、結婚生活に対しての楽しみと不安を抱きかかえていました。ふだん家のことを何一つしていなかった私にとって仕事と家事の両立は大きな問題でしたが、ふと気付くと最早1年経とうとしています。こうして両立していけるのも主人の協力があってのことだと思っています。

 仕事で疲れている時、家事がイヤになっている時など何気なく「無理しなくていい」の主人のささやかな一言が私の励みになります。

 結婚1年目にして私が感じたことは”私が幸せになる”ということは主人に幸せにしてもらうのではなく、主人を幸せにすることによって私が幸せになるのではないか、ということでした。主人が私と結婚したことを後悔しないように頑張っていこうと思います。

 これからの長い結婚生活、”主人と結婚してよかった”と思えるように・・・

 挙式で誓ったあの言葉を忘れないように・・・


大津市読書会「みおの会」小浜へ −山川登美子の文学散歩−  
 「みおの会」の一行26名は小浜出身の明治時代の歌人山川登美子の跡を訪ねて、去る11月7日、小浜に来られました。まず、当院多目的ホールで当院事務の松井から約1時間登美子の生涯と作品(短歌)についての説明を受け、その後、山川家のご好意で登美子の生家(市内千種)を見せて頂き、あたら29歳の若さでこの屋敷の一角のこの部屋の窓から後瀬山を仰ぎながら亡くなった彼女の91年昔を偲びました。さらに、発心寺(市内伏原)にある登美子のお墓にお参りし、小浜公園に今年4月、新たに建てられた歌碑などを見て回りました。

 <小浜公園の新しい登美子の歌碑>

      髪ながき少女(おとめ)と生まれ白(しろ)百合に
              額(ぬか)は伏せつつ君をこそ思へ

あとがき
 1)右のように山川登美子を訪ねて小浜に来られる方は多くあります。
山川登美子−明治12年(1879) 遠敷郡竹原村(現在 小浜市千種)生まれ。21歳より東京新詩社の雑誌「明星」に短歌投稿。やがて同人の鳳晶子と増田雅子と3人の共著で歌集『恋衣』出版。一躍日本の歌壇で名を馳せる。渡辺淳一著「君もコクリコ、我もコクリコ」に晶子と登美子のことが詳しい。

 2)当院のミニギャラリーの多田キク子さんの油絵の展示は今月末迄。とくとご鑑賞下さい。
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