いつまでも暖かく、秋らしい日が少ない今年は美しい紅葉が望めないのではと気を揉んでいるいる内に冬が訪れてしまいそうです。
予期せぬ父の死から1カ月半が過ぎてしまいました。毎日一緒にいた母や弟たちに比べ、結婚後は1年に一度位しか会ってなかった私は、まだ実感がわかない状態です。
毎日、眠る間もなく自分の体を顧みず、忙しく働いていた父を早く楽にして上げたいとの思いもあって、父と同じ道に就いた私ですが、結果的には遠くに嫁ぎ、“古里は遠きにありて思うもの”と言い訳しながら、めったに帰郷しなかった私は、父からすればさぞ親不孝な娘であったことと思います。
父は貧しい農家に生れ、少年時代に父親を病気で亡くしたのと、福島県出身の野口英世を尊敬していたのとで、人の病気を治せる医者になろうと心に決めたようです。満州で義勇軍として戦い、ロシアでの捕虜生活を経験して、故国に引き揚げてからはアルバイト(夜警、屍体洗い、映画のエキストラ等)をしながら苦学の末、医者になりました。そんな父の苦労話を涙ながら、私たち子供達はよく聞かされたものでした。
昔を偲ぶため「ねぎみそと玄米だけの食事の日」が父により決まり、暫く実行されたのも、今となっては懐かしい思い出です。意志が強く、初志貫徹の実行力ある父は、とても厳しく、頑固で、時には鉄拳が飛びました。反面、とても子煩悩で、旅行すれば子供の土産を忘れず、時間があればドライブに連れていってくれた(スピードをよく出すのでこわい思いもしました)優しい父でもありました。
そんな父の顔が急に“老人”になったのは2年程前でしょうか。それまでの厳しい父の顔ではなく、“おじいちゃん”になり、背をやや丸めて足元もおぼつかなげに歩く姿に驚きました。やはり老化は足からくるのですね。もう、小浜を訪れてくれることはないのでは、との思いが頭をよぎりました。それがこんなに早く現実になろうとは…
生涯現役で寝たっきりで人の世話にはなりたくないと言っていた通り、思い通りの充実した人生だったと思います。
夫に言わせると、私は父とよく似ているそうですので、反面教師の居なくなった今、あの父の短所に気をつけ、父と同じ職業を選んだことを誇りに、長所を生かせるよう精進したいと思います。 |
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