義父に初めて出会ったのは26年前、ラグビーの秋田合宿から帰るところで、5人くらいで立ち寄ってご馳走になった時です。今の私の年よりは2〜3年過ぎた脂の乗り切った精悍な顔つきの頃です。
野心家で努力家で病院診察のかたわら、陶芸、新聞記事執筆、本の出版など多忙な日々を過ごしていたようです。それから家内との結婚に10年余りの年月を費やすのですが、義父は養子を求めていたためのロスで、家内が30歳前に急に嫁に行っていいと言い出すまで待たされました。義父はもともと頑固ではあったのですが、こと、この件に関しては自分の事業拡張にあたり人材を必要としていたのでしょう。
もともと糖尿病があったのですが、不規則な生活やストレス、過労等で一昨年脳梗塞を起こすまで実に仕事熱心な義父でありました。以降、足の衰えと共に、帰らぬ人になったのでした。
話術、文章のうまさはプロをもしのぐくらいで、多くの著作物には人情味あふれる内容が織り込まれています。義父は余り飲めないビールを私に付き合ったりして、少し酔い始めると、きまって自分はシベリア抑留の辛い経験があるからどんな逆境にも耐えられるのだと語るのが口癖でした。もう、その話を聞くことができなくなりましたが、情熱的な話し方とその内容はいつまでも私の心に残っています。
(真里子Dr,はその父の葬儀のため余儀なく2日間の小児科休診をし、ご迷惑をかけましたことを紙上でお詫びします。−院長−) |
〈池田義隆氏のこと〉
冒頭の院長の追悼の文にありますように池田義隆氏は10月1日正午、亡くなられました。行年74歳。氏は真里子Dr,の実父です。
謹んで哀悼の意を表します。
略歴
昭和27年 東京医科大学卒業。
昭和35年 福島県須賀川市で池田医院開業。
昭和36年 医学博士学位取得
以後、医療法人三愛会 池田記念病院(120床)と池田温泉病院(110床)を設立。特別養護老人ホーム愛寿園開設。
昭和39年 須賀川ライオンズクラブ結成、初代会長。
昭和53年 明るい社会づくり須賀川・岩瀬支部長。
平成7年 福島県警察医会長。
など社会的要職も多く務められました。その他、著書には「星空の往診」「聴診器に伝わる世相のラッセル」などがあります。 |
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