私は12年前、内外海(うちとみ)地区の海に面した甲ケ崎の地に少しばかりの土地を得て、やがて小さな家を建てました。最初は週末だけのつもりがいつの間にやら市街地の自宅は放っぱらかしにして年中そこで過ごすようになりました。建てた当初は半径200M四方に人家はなく、田圃と海に囲まれ夏には蛙の大合唱、秋にはこおろぎ、鈴虫などの大交響曲、前の内海は嵐の日でも大波は立たず、穏やかな日は時間と共に海面の色が刻々と変化するという、回りの自然に満足していました。
そして、年中、前の海に入れば、足指であさりがあっさりつかめ、初夏には家の横の小川に蛍がほのかに舞い、秋口には近くの田圃の水路に大きくなったタニシが沢山いるのを見て、いい所に家を持ったものだと喜んでおりました。
ところが、それから僅か6、7年後、春先のある日、海に入り何と30分もの間、専用の捕獲器で砂ごとすくっては捨て、すくっては捨て続けても、1個のあさりも入っていないではありませんか。かっては小さなバケツなら30分もあればすぐ一杯になったものを。愕然としました。
その夏、6から7月にかけて、蛍が一匹も飛んでいないことに気が付きました。そしてとうとう秋になって捜してみるとタニシがいつもの所に全く見当たらない、何たることぞ。一体、何が起きているのか。背筋が寒くなりました。
それから数年、今夏、蛍はたった2匹だけ確認しました。しかし、海に入って確かめてもあさりはやはり居りません。タニシは今のところ子貝も見当たりません。日本中の多くの小川から“どじょう”や“めだか”が、田圃から“いなご”がいなくなったのと同じことなのでしょうか。
そういえば「沈黙の春」が日本で出版されたのが昭和46、7年頃。この本にはアメリカの牧場において農薬の害で牛がばたばた死んで逝く話が書かれており、読んだ者の心胆を寒くさせたものでした。そして、それから26、7年も経った昨年、「奪われし未来」が出て、今度は“環境ホルモン”の怖さが訴えられ、その脅威はその後、マスコミでは機会あるごとに取り上げられております。これらの警告書は最早、誰にとっても他人事ではないことを、つくづく身に染みて感じています。何しろ、私自身の身の回りにこのように具体的事実として起きていることがあるのですから。
何が原因なのか、特定はできませんが、恐ろしい時代に入っているようです。
私の家の回りについこの間までいた、あの海のあさり、川の蛍、田圃のタニシ、私の目の黒い内にまた戻ってくれるのでしょうか。それともそれは夢のまた夢なのでしょうか。 |
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